介護に頼らない人生へ。森からはじまる「もうひとつの選択肢」

思いがけず3日間の入院生活。61歳にして人生初でした。


部屋は4人部屋、高齢の方々と同室になり、看護師さんとの会話からどれぞれの人がどんな現状なのか何となくわかりました。

一方で昼夜なくサポートしてくれる看護師さん、そしてドクター。病棟で過ごしている人たち・・・いろんな光景を目にしました。


それは自分の未来を見たのではなく、この国の未来の姿を垣間見たように思います。

今の社会では、年を重ねれば「病院と介護」が当たり前になります。でも、それは本当に当たり前の未来なのでしょうか?

少し前まで元気だったはずの方々が、介助されながら、ただ横になって時間を過ごす。毎日、同じ景色と天井とテレビを見ながら、たまにくる看護師さんと少しだけ会話する。

そんな姿を見て思ったのは、「そもそも、そんなふうに生きていかない道もあるのではないか?」ということ。

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日々動き、手を動かし、生きる力を取り戻す暮らし方

僕の周りには、80代でも畑をやったり、庭づくりをしたり、家具をつくったり、絵を描いたり、散歩したりする人たちがいます。


日々体を使い、自分の暮らしに必要なことを自分でやっている。昔の人たちのように「自分で生きること」が自然とできているんです。

当時の平均寿命は短かったかもしれません。


でも、無理に寿命を引き延ばすことよりも、最後まで元気に、快活に、自分の足で歩いて生きることの方がよほど人間らしいと思うのです。

医療と介護が高度化しすぎて、サポートが前提になってしまったこの国。その延長線上には、何を失うことになるのか。


それを見つめ直す時期にきているのかもしれません。

「支えられる」ではなく「自ら生きる」へ

今の世の中はとても便利です。医療も介護も行き渡っています。でもその反面、過剰なまでにサポートがあるがために自分で何かをしようという気持ちになる場面がなくなっています。

支えることは大切。でも支えられるだけでは自分の足では立てません。自ら生きるという想いが全ての原動力になるのではないかと。

もちろん、病気に人や身体的にできない人全てということではありません。その人の状況に合わせた、今できることでいいです。

森から働き、暮らすという選択

僕が森を拠点に働き暮らすを実践し、広げようとしているのは、「自給自足したいから」とか「自然が好きだから」という理由だけではありません。

もっと根底にあるのは、「諸外国に頼らないと生きていけない」「介護と医療に頼らないと老後が成り立たない」そんな依存型の社会を少しでも変えていきたいという想いです。

社会全体を変えるなんて大そうなことは思っていません。ただ自分の身の回りで共感してくれる人たちと少しずつ実践の輪を広げていくことができたらと。


そんな「生涯現役の暮らし方」を提案していきたい。たった3日の入院体験で気持ちを新たにしました。

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