僕は現在61歳(2025年4月現在)。信州・小諸の森に拠点を置き、ときに町にも出ながら働いています。
ここに至るまでの道のりは、まさに「結果オーライの後付け人生」。いくつもの転機と挫折、そして新しい挑戦の連続でした。
大手企業からの脱線と模索

社会人のスタートは、大手家電メーカーの販売会社。
やりたいことも見えぬまま始まり、地方の家電店担当として腐りかけたところに、系列店のIT化プロジェクトが舞い込み、リーダーを任されました。
「現場を見ずにして何がわかるか」
そんな想いで、町の電器屋さんと深く関わる中、僕の信念が芽生えていきました。
30歳を過ぎる頃には本社へ異動。自らプロジェクトを立ち上げ、幹部候補生にも選ばれ、サラリーマン人生に充実感を覚えた時期でもありました。
しかし、社長とのホンネ対話の場で、現場を見ていない経営陣への課題をぶつけた際、次期トップ候補の常務を批判してしまったことが運命を変えました。
「次期トップ批判をした男」としてレッテルを貼られ、左遷とパワハラの連続。抑え込まれ、自暴自棄になり、人生のどん底を味わいました。
こうして22年勤めた会社を心身ボロボロで去ることになります。
ベンチャー倒産と孤独な中小企業の日々

その後、ベンチャー企業の立ち上げに飛び込みます。寝る間も惜しんで働く中、世の中にないサービスづくり、営業チームをまとめあげる日々に手応えも感じました。
しかし、創業3ヶ月で「一斉解雇」。その夜、初めて営業チーム全員で囲んだ飲み会は、今でも胸に刻まれています。
45歳で無職。路頭に迷いハローワークに通う日々。半年後、ようやくたどり着いたのは、年収も立場もかつての半分以下の小さな会社でした。
その会社では、社内にほとんど会話がなく、やりがいもゼロ。昼休みに家から持参した弁当を公園で食べる自分に寄ってきた野良犬に、「お前と同じやな…」とつぶやいた日もありました。
そして、地方営業への異動命令を受けたとき、僕はようやく腹を括りました。
「このままサラリーマンを続けたら、自分が終わる」。妻と相談し、46歳で独立する決断を下しました。
46歳で独立、「一人商い」への転機
サラリーマンを辞めたものの、何をやるかは全く決まっておらず、無計画な船出でした。独立後、2年ほどは全く食えない日々、通帳残高をにらめっこする毎日でした。
フリーランスとしてできることを模索しながら、「一人商い塾」としての起業・複業支援、コミュニティ運営、研修講師など、多様な仕事を小さく試しながら続けていきます。
目の前のご縁や依頼を丁寧に引き受けていくことで、少しずつ形が見えてきました。

働く場所の変遷、時間と場所を選ばない働き方へ

一方で働く場所はさまざまなプロセスを踏みます。自宅のリビングから始まり、バーチャルオフィス、レンタルオフィス、ワンルームマンション、2DKのオフィスへと移行。
「人の多い電車に揺られて通勤なんて・・・。それがいやで独立したんじゃないの?」10年以上経った頃、そんな思いにかられるように。
都心でのオフィス勤務に疑問を感じ、自然の中での仕事を志向するようになります。自分で働き方を選べるようになったことで、地方での仕事や暮らしへも目が向きます。
時間や場所に縛られない働き方を模索する中で、都会と自然、リアルとオンラインを行き来するワークスタイルへと移行していきます。
焚き火とコミュニケーションの場づくり

並行して「焚き火」を媒介にした研修やコミュニケーション事業がスタートします。安全・安心な場づくり、本音を語れる空間づくりに手応えを感じるようになり、企業研修や個人向け講座を実施。
焚き火を囲みながら人と人がつながる場づくりが、自分のライフワークとして育っていきました。

焚き火の宿の管理人

2017年、ふと思い立って行ったフィンランド。森が美しい景色、現地の方の温かさに魅了されます。翌2018年、埼玉ときがわ町で中古ログハウスを入手、焚き火コミュニケーション事業とともに宿泊業をスタートしました
。
こじんまりと小さな宿を運営、一期一会の魅力を繰り返しながら、自分のプラットフォームの重要性を改めて感じます。
「もっと広くて木々が美しいフィールドへ移りたい」そんな思いが募り始めます。コロナ禍をはさみながら、北海道十勝、山梨、長野と2年かけて場所探し。
良き買主さんのご縁にも恵まれ、ログハウスを売却。数ヶ月後、信州小諸で土地を見つけることになります。
森の開拓体験フィールドづくりのスタート
たまたま巡り合った小諸の土地。何十年も手付かずの山林です。テントをたてて、夫婦二人でスコップ片手に開拓作業がスタートします。道を削り、土を運び、草を刈る。倒れた木を動かし、密集した木は伐採。
それまでやったことがないような経験の連続、超肉体労働。今思い返してもよくあんなことやったなあ・・・という感じです。
でもシンプルで真っ白になれる開拓作業にどんどんハマっていく自分がいました。
森の開拓、小さな家づくりにハマる

フィールドには当初数泊できる小屋をつくるつもりでした。ところがたまたま近隣に住んでいた知り合いの一級建築士と話しているうちに、「ちゃんとした家を建てよう」という流れに・・・。
森の一角に小さな木の家をイチからつくり始めます。まったくの素人ながら、日本古来の在来工法で、基礎から土台、柱、屋根へと・・・。
気がつくと夫婦二人で母屋一軒を建ててしまいました。
この間、東京近郊の自宅と小諸を行き来、着工から2年の月日が流れていました。
「自分でつくる森の暮らし」というフレーズはこの間に浮かび上がったものです。
森と人をつなぐ共創の現在地

僕たちが信州小諸へ来てやってきた足跡と経験。この愉しさを一人でも多くの人に知ってほしい。知らず知らずそんな想いにかられるようになります。
森の暮らしを具体化するには物件取り扱いが必須。家を建てながら無謀にも還暦前に宅建試験へチャレンジ、幸運もあって何とか合格。その後も紆余曲折ありながら宅建業免許を取得しました。
「森×小商い」「森×自分づくり」「森×焚き火コミュニケーション」・・・森プラスとは「森の暮らし」×「やりたいこと」の掛け合わせ。その人の個性と森の豊かさを組み合わせて価値を生み出すという意味が込められています。
「森と町の二拠点生活ひいては移住で心豊かに生きる」・・・。my forest,my home「自分の森と自分の家で暮らしをつくる」をコンセプトに日々活動を行っています。